ドイツにおける人口3位の都市で、900年以上の歴史を持つ都市ながら、町並みは整然としていて清潔。公共交通機関も利用しやすく、さすがドイツ国内でも随一の経済力を持つ都市であると感じさせられる。D-Wave社によるユーザカンファレンス”Qubits Europe 2018” は、ここミュンヘンで4/10から3日間に渡って開催された。
先に投稿された記事では、今回の目玉とも言えるD-Waveマシン自体の最新Update について詳しく報告されている。本記事では、D-Waveマシンを利用した応用事例に関して、筆者の印象に残った発表をいくつか取り上げて紹介したい。
全体的な傾向 #
個別の事例に入る前に、まずは全体の傾向を簡単にみておこう。今回のカンファレンスにおいて口頭発表した発表者の所属する機関を産業別で分けると以下のとおりである(D-Wave社を除く)。
大学・研究機関 | 航空宇宙 | 広告 | ヘルスケア | 自動車 |
9 | 3 | 1 | 1 | 3 |
次に、量子アニーリングそのものの研究発表は除き、実用をみすえた具体的なアプリケーションをD-Wave マシン上で動かした事例を、対象となるアプリケーションごとに分類すると以下のようになる。
機械学習支援・高速化 | 材料科学 | 経路最適化 | 画像処理 |
3 | 2 | 4 | 1 |
おおざっぱな枠組みではあるが、交通渋滞緩和や航空機の最短経路探索などに代表される、「経路最適化」のアプリケーションと、特徴量抽出や分類器の高速化・高精度化などに代表される「機械学習支援・高速化」が、現在のD-Wave マシンのメジャーアプリケーションと言えそうだ。
応用事例の紹介 #
次に筆者の印象に残ったD-Waveマシンユーザによる応用事例をいくつか紹介したい。一つ目はオークリッジ国立研究所(米国) の発表である。ローレンスリバモア、ロスアラモスなどと並び、演算能力で世界有数のスパコンを所有していることでも知られるオークリッジ国立研究所は、従来のコンピュータから量子コンピュータへのスムースな移行に注力している。D-Waveマシンを利用した具体的な事例としては、金融ポートフォリオを最適化によるリスク管理や、量子アニーリングによる素因数分解などに取り組んでいることが紹介されたが、それ以上に“XACC” というミドルウェアが興味深かった。
XACC は、量子コンピュータや、脳型(Neuromorphic)コンピュータなど、様々な次世代コンピュータを、一般ユーザーが簡単に利用できるように、抽象度の高いカーネルAPI の提供を目指している。プログラミングモデルとしては、CUDA やOpenCL などのいわゆるアクセラレータ系言語モデルを想定している。XACC 自体は、まずフロントエンドでScaffold, QCL, Quipper などの複数の量子プログラミング言語を中間表現(Intermediate Representation: IR) に変換し、バックエンドでIR を量子アニーリングマシンや、量子ゲートマシンなど所望のハードウェアで実行可能なコードに変換する。
つまり、量子版のLLVMを目指している!まさに、フィックスターズが目指している方向でもあるので、今後もトラックしていきたい。ちなみにソースコードはGithub で公開されているが、流石に試す環境を持っていない人が多いためか、Star やFork は少ない。。。
二つ目に紹介するのは、Airbus社による故障時の原因解析を量子アニーリングで高速化した事例である。Airbus社は、ハードウェアの形式を問わず「実際にAirbusのビジネスに価値ある結果をもたらしてくれるのか」という現実的な観点のみで各種量子コンピュータを検討している。今回は、“D-Wave 2000Q”で得られたフォルトツリー解析(Fault Tree Analysis: FTA) の高速化についての発表があった。この結果は、Airbus社内で初めての量子コンピュータを用いた事例とのことである。
FTAは、製品やシステムの信頼性や安全性を評価・解析するために用いられる一手法である。Airbus社が取り扱うような航空機ともなると、ツリーを構成するイベントやゲートの数が膨大になり、最新のD-Wave 2000Q を持ってしても全体を解析することはできない(図3)。しかし、量子アニーリング(図3中、青のエリア)では、イベントやゲートの数(X軸)が増加したとしても、処理時間(Y軸)が変わらないことが期待される。
この特徴を活かして、D-Waveマシンと従来のコンピュータによるソフトウェア処理を組み合わせ、ハイブリッドなシステムとして活用しようという考え方だ。現時点では、最も現実的なアプローチと言えるだろう。今後は他のアプリケーションにおいても、量子コンピュータをいかに既存のコンピュータと組み合わせて使うかの検討が進むものと予想できる。
三つ目として、マテリアルシミュレーションを取り上げたい。D-Waveマシンを様々な研究分野に活用しているVolkswagen社からは、電子状態計算(Electronic Structure Calculation) への応用が発表された。素材内部の電子の特性を計算することは、素材研究を進める上で重要であるが、一般的に複数のフェルミ粒子(ここでは電子)の波動関数を解きエネルギー準位を計算することは難しい。近似による数値解析によるアプローチでも、系が複雑になると計算量が膨大になり現実的ではなくなる。そこで量子コンピュータを用いて大規模な系の電子のエネルギーを現実的な時間で解きたい、というのが研究のモチベーションである。
今回の発表では、水素分子(H2, 電子2個)と水素化リチウム(LiH, 電子4個)の計算結果について、D-Waveマシンによる結果と、既存の数値解析手法(Hartree-Fock 近似: HF、Full Configuration Interaction 法: FCI) とが比較された。図4は、そのうちの水素分子モデルの結果を示したものである。X軸電子間距離、Y軸エネルギーのグラフにおいて、D-Waveマシンの計算結果はより精度が高いFCI 法による結果にほぼ沿っていることがわかる。今回の発表は非常に単純なモデルを取り扱ったものだが、Volkswagen社では、将来的には量子コンピュータを使った新素材サーチをしたいとのことである。
また、マテリアルシミュレーションに関しては、D-Wave社自身からも発表があり、
- 3次元Transverse Field イジングモデル(3D Transverse-field Ising Model: TFIM) による磁性の相転移
- Kosterlitz-Thouless 位相転移 (KT phase transition)
をD-Wave 2000Q上で再現したという発表がなされたことも述べておきたい。さらに
- 離散化された時空格子上でのゲージ理論
についても研究を進めているとのことである。現在、主に大規模並列計算機で行われているこれらの計算が、より速く、より高精度になることが期待される。
個人的な感想 #
全体の感想を一言で言えば、身も蓋もないが「皆苦労している」ということだ。世の中にある実際の問題を解こうとするとQbit が全く足りず、なんとか問題のサイズを分割・縮小したとしても、スパースなキメラグラフへのデプロイが使用者を悩ませる。ロスアラモス国立研究所の研究者であるDan 氏がプレゼンに使ったコメントが印象的だ。
私はD-Wave マシンのことを、フラックスキャパシター(*)だと思っていたけど、そうじゃなかった。比べるものとしては、初期のマイコンIntel 8080 に近い。できることは限られている。しかし、このマシンには現在のIntel CPUの劇的進化に匹敵する大きな可能性がある。。。
(*) フラックスキャパシター:映画”バック・トゥ・ザ・フューチャー” で登場するタイムトラベルを実現するための装置
実際、初日のレセプションや二日目のディナーでは、Qbit の少なさを半ば揶揄しながらも、いかにこの新しい技術を使いこなしてやろうかと、ビール片手に様々なアイディアを活発に出し合うポジティブな雰囲気があった。それもそのはず。未開の土地を切り開くのであれば、不都合は当たり前の事。我々は「量子アニーリング」というSF心をくすぐる技術に魅せられて、果敢にその一歩を踏み出したファーストペンギンなのである。当然、この技術が成熟した暁には、先行者利益を享受する権利があるだろう。
最後に余談である。筆者は北米を中心に様々な技術系カンファレンスに出席しているが、日本国外のカンファレンスにおいて、今回ほど日本のプレゼンスを感じたことはなかった。D-Wave社の発表によれば出席者の25%を日本からの参加者が占めたそうである。参加者の数だけでなく、発表の質を取ってみても、量子アニーリングの父である東工大・西森教授の発表はもちろんのこと、リクルート・コミュニケーションズ社の棚橋氏による、特徴量選択アルゴリズムにD-Wave マシンを活用した事例発表は、他の発表と比べても頭一つ抜けて実践的であった。
惜しむらくは、弊社が発表する側に立てなかったことである。しかし、社内には着々と進めている量子コンピュータ関連プロジェクトも存在する。是非、次回のユーザカンファレンスでは、我々も有益な発表を出し、日本チームのプレゼンス向上に貢献したい。