東京工業大学
(左から)児玉様、小平先生、高橋先生、松井先生
Fixstars Amplify Annealing Engine
会津大学 コンピュータ理工学部 コンピュータ理工学科 上級准教授
小平 行秀 先生 (左から2番目)
東京工業大学 工学院 情報通信系 教授
高橋 篤司 先生 (左から3番目)
東京工業大学 工学院 経営工学系 教授
松井 知己 先生 (写真右側)
キオクシア株式会社 メモリ設計技術統括部 第三メモリ設計部 メモリ設計第五担当 兼 メモリリソグラフィ担当 参事
児玉 親亮 様 (写真左側)
半導体のプロセス技術の一つであるマスク最適化*の研究に取り組まれている小平先生、高橋先生、松井先生、児玉様にお話を伺いました。以前より会津大学、東京工業大学、キオクシアの三者で数理最適化技術を用いたマスク最適化のアルゴリズムを開発し論文発表などを行っていましたが、今回は量子アニーリング・イジングマシン(以下、「イジングマシン」)を活用し、その共同研究の結果を論文として発表されました。イジングマシンを活用するに至った経緯や、今回の研究の意義などについてお話を伺いました。
* 半導体デバイスの製造過程において、光リソグラフィ技術を使用してシリコンウェハ上に微細なパターンを焼き付ける際に、所望の形状が転写されるようマスクのパターン形状を最適化すること
児玉さん半導体の製造工程の一つであるリソグラフィでは、マスクを通して光を照射することでシリコンウェハ上に回路パターンを転写します。その際、光の回折等の性質上、マスクと完全に同じ形が転写されないので、所望の回路パターンを転写できるようにマスクのパターン形状を補正します。これをOPC(Optical Proximity Correction:光近接効果補正)といいます。また、OPCだけでなくリソグラフィ工程での露光ばらつきにロバストなマスクを導出する問題を、マスク最適化問題といいます。半導体集積回路のEDA(Electronic Design Automation:設計自動化)の研究に取り組んでいらっしゃる高橋先生や小平先生、数理最適化がご専門の松井先生に共同研究という形でご協力をいただきながら、このマスク最適化問題に取り組み、主に数理最適化の技術を使ってマスク最適化のためのアルゴリズムを開発し、論文発表なども行ってきました。
高橋先生2000年代に入り回路パターンの微細化によって複雑なOPCが必要になり、どうにか苦労しつつ集積回路が製造されてきました。OPCやマスク最適化技術は、アカデミックの研究として興味深く、技術的なニーズもあるため取り組む意義があると感じています。また、半導体メーカー各社のノウハウがある中で、一般的な解法はなく、理論的な背景のある最適化をしたいと考えていました。所望のパターンを得るマスク形状を求めるというのは、逆問題を解かなければならないということになります。しかし、その所望のパターンを転写できるマスクが存在するかはわかりません。しかも製造のことも考えないといけません。製造しやすく、それなりのパターンを転写できないといけない。そこが難しい問題です。
松井先生マスク最適化問題はもともと難しい問題なので、どんな問題でも解くことができる手法を開発するのは難しいでしょうけど、実用的な観点で役立つ手法が開発できればうれしいと思っていました。すなわち万能選手ではないかもしれませんが、スペシャリストであればよいのではないか、と考えています。
児玉さんそんな中、「量子アニーリング・イジングマシン」という単語が世間の注目を集め始めた2021年頃に、小平先生が突然「我々が開発したアルゴリズムはイジングモデルなので、イジングマシンでも解けますよ」とおっしゃったのです。
小平先生イジングモデルで問題を解く、という発想は、2019年にEDAに関する国際学会である ASP-DAC(Asia and South Pacific Design Automation Conference)で、当時フィックスターズ社(現Fixstars Amplify社 CTO)の松田さんの発表を聞いて気になっていました。当時はトイモデルを用いたコンセプト的な発表でしたが、2021年にイジングマシンのクラウドサービスである「Fixstars Amplify」が商用リリースされ、実際に試してみたら大規模なイジングモデルやQUBOモデルの問題を解けるということで、児玉さんにお話ししました。
児玉さん小平先生の話を受けて色々と調べてみたら、マスク形状をイジングマシンで最適化しようとした論文が1つだけありました。しかし、いわゆる(先述の)マスク最適化問題とよばれるものとは異なるものでした。したがってイジングマシンを使ったマスク最適化事例はまだなかったということもあり、これは面白そうだ、どんな解が得られるか試してみたい、と直感的に思いました。リソグラフィやマスク最適化の研究では、これまでも様々な新しい技術が投入されています。その研究に最先端のイジングマシンを活用することで、更なる効率化や面白い知見が得られるかもしれないと思いました。
松井先生イジングマシンが世間から注目されるようになり、わりと「イジングマシンはなんでも解ける」と思っていらっしゃる方がいるかもしれませんが、私たちはそうではないことを知っています。実際には、イジングマシンが得意な問題とそうではない問題があるのです。実はこのマスク最適化問題は、イジングマシンにフィットする特長を持っています。そのため、「きっとイジングマシンにとって解きやすい問題であるに違いない」という期待がありました。なぜなら、数理最適化技術を専門とする人から見ると、イジングマシンは最大カット問題(有名な最適化問題の一つ)を解くのに適していると思われていて、この問題はそれに非常によく似た問題であると考えられるからです。
児玉さんそれで、小平先生と一緒に当時利用可能だった各社のイジングマシンのサービスを比較検討してみたところ、解きたい問題の特徴(全結合やビット数)や、開発のしやすさなどからFixstars Amplifyが良さそうだとなりました。そこで早速問合せフォームから「使ってみたいのですが・・・」と問い合わせてみましたら、かつて私が弊社のFlashAir™という製品に関わっていたときにお世話になった、フィックスターズの土居さんから突然ご連絡がありまして。「いま、イジングマシンを担当しています!」とおっしゃるではないですか。久しぶりにお話ししたところ、我々の共同研究にもイジングマシンを使わせていただける、ということでトントンと話が進んでいきました。
小平先生今回の論文では、我々が開発したアルゴリズム(イジングモデル)をQUBOモデルに変換し、イジングマシンで解いた結果を公表しました。マスク最適化問題では、ターゲットマスクへの忠実度、プロセスばらつきへの耐性、計算にかかるトータル時間などが主な評価指標となります。イジングマシンで解いた結果は、従来手法に比べて、ターゲットパターンの忠実性は同程度でプロセスのばらつきに対する耐性は向上、トータル時間は長い、というものでした。今回の研究から技術的な課題も見えてきましたが、「マスク最適化問題はQUBO問題としてイジングマシンで解ける」、ということを示せたことが重要な一歩だと思っています。
学会では、海外の回路設計ツールを開発している企業の研究者の方や、アカデミアの方から「なるほど、これは確かにQUBO問題として解けますね」といった感じの好意的な反応を得ました。もともとEDAの分野では、1990年代の頃からシミュレーテッド・アニーリング(最適化手法の一つ、以下「SA」)が多く使われてきたという歴史的な背景もあり、イジング的な考え方と親和性が高いことも影響しているかもしれません。
児玉さん産業面で考えてみると、今回の研究結果がそのまますぐに半導体製造の現場で使えるかといわれると、まだその状況にはありません。ただ、マスク最適化のために、これまでFPGAやGPUを用いた専用ハードウェアが開発されています。また、新しい技術が現場で十分に使えるようになるまでには、比較的長い時間を要するものです。今回QUBO問題としてイジングマシンでマスク最適化問題が解けることや、技術的な課題や発展の方向性などを最初に示せたということは、とても意義のあることだったと思っています。
小平先生量子アニーリング・イジングマシンは、目的や実際に解きたい問題の特徴に合わせて適切なマシンを選択することが重要だと思っています。私も、今回の目的や問題の特徴に照らし合わせてマシンの選定を行いました。Fixstars Amplifyを使うとマシンの切り替えが簡単に行えるので、比較や検討がやりやすくて大変便利だと思います。
一方で、我々が扱っている問題は疎行列ではなく密行列なので、Fixstars Amplifyが提供するクラウド上のアニーリングマシン、Fixstars Amplify Annealing Engine(以下「Amplify AE」)にクライアントからデータ転送をするのに、かなり時間がかかってしまうという課題が見つかりました。Amplify AEで問題を解く時間以上にデータ転送に時間がかかるので、トータル時間が長くなってしまいます。アルゴリズム的な改良も検討していきますが、Amplify AE側でも改善できる余地があるかもしれないと感じています。
今回の研究を経て思うことは、「二次計画問題ならまずはFixstars Amplify」といった感じで、普段研究で使う道具箱の中にある道具が一つ増えたということです。アルゴリズムの研究は日々の試行錯誤で前に進んでいくものなので、今後この研究がどのような方向に進むのか分からない部分もあるのですが、二次計画問題に定式化できる問題が出てきたら、まずはFixstars Amplify を試せばいいと思っています。
また、Amplify AEは、並列化されたSAベースのアルゴリズムが実装されているということで、SA的なことを気軽に試せるというのも魅力の一つだと思います。自らカスタムでSAのプログラムを作ると温度やその他のパラメーターの調整などに苦労することになりますが、そのあたりはすべてFixstars Amplifyに任せて気軽に試せるのがいいですね。
小平先生研究室の紹介をする際に、従来の回路設計等の紹介に加えて、イジングマシンも活用して研究しています、と紹介することで私の研究室に興味を持ってくる学生も増えた気がします。
高橋先生イジングマシンを使うことで、きちんと解が出てくるのが凄いと思いました。産業面への応用を考えると、様々な要求仕様を考慮した問題定式化が必要になります。いかに解きやいように定式化するかは研究者の腕の見せどころの一つですが、一つの方向性が提示されたということかと思います。
松井先生今回扱ったマスク最適化問題はサイズの大きな問題なので、本当に解けるのか、という不安がありましたが、かなり大きな問題が解けるということが分かったので驚きました。
児玉さん改めて、量子や最先端技術への興味は強いと感じますし、この研究が半導体業界や量子業界の発展の一助になれば嬉しく思います。
小平先生先日リリースされた Fixstars Amplify SDK v1では、二値変数だけなく、整数変数や実数変数もサポートされたということで、QUBO以外の問題でもFixstars Amplifyを使う日が来ることを楽しみにしています。
高橋先生Fixstars Amplifyに得手不得手はあるとは思うのですが、汎用マシンとして広い応用範囲をもっているかと思います。今回に関しては、計算時間的に入出力がボトルネックとなっているということが明確で、その改善は可能であるということでした。コアな部分のさらなる性能向上とあわせて今後に期待しています。
児玉さん今回の取り組みは、Fixstars Amplifyが良かったという点も重要でしたが、フィックスターズという会社が研究開発に対して間口の広い会社だという点も重要だったと感じています。リクエストにも可能な範囲で柔軟に対応してくださいますし半導体製造への適用という観点で、量子技術の発展やFixstars Amplifyの進化に注目しています。
*本記事の掲載内容は全て取材時(2024年2月)の情報に基づいています
半導体製造プロセスの中のリソグラフィという重要課題について、弊社技術をはじめとした新しい最適化手法の適用可能性を広げたご研究です。インタビューにもあるようにどんな道具にも得手不得手があり、特にそれが新しい道具であれば、フィットする領域を探索すること自体に研究的な面白さと社会的意義があるものだと、改めて感じました。何より児玉様や先生方が、そうした過程を心から楽しんでいらっしゃることに感銘を受けました。そんな雰囲気が記事から伝われば幸いです。
Fixstars Amplifyでは最先端のコンピュータ技術を活用し、企業やアカデミアの研究開発に貢献しています。適用領域を探るディスカッションだけでも承りますので、ご興味のある方はぜひお問い合わせください。
聞き手: 平岡 卓爾(株式会社Fixstars Amplify 代表取締役社長 CEO)